1000勝1000敗への長い長い道のり

北見市のテニスサークル「テニスチーム弾丸」スタッフのブログです。 当サイトはリンクフリーです。リンク、コメントなど歓迎致します。

2017年12月

「ガキの使い2017 絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス」はじまるよー。

その前に自分のテニス年表を更新しておきましょう。

 

1997年(23歳)

テニスというスポーツに出会う。元テニス部の友達に1~2回教えてもらったが
すぐ雪が降ったので遊べなくなり、近所のMの森テニススクールに入会。

1998年(24歳)

すっかり週1回のスクールが楽しみになる。1クールである2ヵ月ごとに
初級 ⇒ 初中級 ⇒ 中級 ⇒ 中上級 と順調に昇級。

1999年(25歳)

テニススクール上級に昇級。ご褒美に初のマイラケットprinceグラファイトオーバーサイズ購入。
直後、レッスン中に左足首捻挫。全治1年。
医者「いやー、折れた方がマシだったねー」

2000年(26歳)

テニススクールは半年間休会。左足をひきずりながらも週末は友達とテニス。完治が遅くなった・・・。

2001年(27歳)

病弱プレイヤーひなしーと出会う。公園のコートなどで遊ぶが、この頃はまだお互い試合経験なし。

2004年(30歳)

仕事がなくなったので、札幌市から地元の留辺蘂町(現在は合併して北見市)に戻る。
留辺蘂町のテニス協会に所属。

2005年(31歳)

後の弾丸創設者O君と出会う。
朝野球、テニス朝練、仕事、テニス夜練、ナイターソフトボール・・・元気だった。

2006年(32歳)

テニスチーム弾丸設立!初代会長Kさん・設立者O君退会、弾丸副会長に就任。
大会初出場(札幌有明D級シングルス)
二代目ラケットprince O3 White購入

2007年(33歳)

二代目会長◆やまさん退会、弾丸会長に就任。

2009年(35歳)

北見B級ダブルス「宮沢杯」優勝(ペア:りょーちん)
三代目ラケットprince O3 speedport購入

2010年(36歳)

北見B級ダブルス「会長杯」優勝(ペア:りょーちん)

2011年(37歳)

札幌有明の森「平日D級シングルス」優勝
ブログ開設

2012年(38歳)

札幌有明の森「月例D級ダブルス」優勝(ペア:ひなしー)
北見一般ダブルス「市民テニス大会」準優勝(ペア:りょーちん)
「北海道都市対抗テニス大会」出場
札幌有明の森「月例E級ミックスダブルス」優勝(ペア:嫁)

2013年(39歳)

北見一般シングルス「北網地区室内テニス大会」準優勝
網走一般シングルス「北欧スポーツ杯」ベスト8
「北北海道都市対抗テニス大会」出場
北見一般シングルス「岡メモリアルテニスト-ナメント」ベスト8
網走・斜里一般ダブルス「知床サーモンカップ」ベスト4(ペア:りょーちん)
三代目ラケットprince O3 speedport破損
四代目ラケットprince EXO3 HARRIER 100 White購入

2014年(40歳)

北見一般シングルス「北網地区室内テニス大会」4位
紋別一般ダブルス「道東オホーツクインドアテニス大会」3位(ペア:うっちー)
「北海道都市対抗テニス大会」出場
「北北海道テニス選手権」シングルス出場
紋別A級ダブルス「紋別サマーカップ」4位(ペア:Y原さん)
「DUNLOP SRIXON 北海道決勝大会」出場(ペア:うっちー)
遠軽A級ダブルス「遠軽サーモンカップ」準優勝(ペア:Dr.ゲコ)
北見A級ダブルス「市民テニス大会」4位(ペア:りょーちん)
遠軽一般ダブルス「第10回記念遠軽室内テニス大会」3位(ペア:Y原さん)

2015年(41歳)

「北海道インドアテニストーナメント」出場
紋別A級ダブルス「道東オホーツクインドアテニス大会」優勝(ペア:Y原さん)
「北海道都市対抗テニス大会」出場
「北北海道テニス選手権」ダブルス準優勝(ペア:Y原さん)
札幌有明の森「月例D級ミックスダブルス」優勝(ペア:嫁)
紋別A級ダブルス「紋別サマーカップ」3位(ペア:もりやさん)
「北北海道都市対抗テニス大会」準優勝
湧別ミックスダブルス「ホルスタインカップ」4位(ペア:嫁)
札幌有明の森「月例C級ミックスダブルス」3位(ペア:嫁)
遠軽A級ダブルス「遠軽サーモンカップ」準優勝(ペア:Dr.ゲコ)
遠軽A級ダブルス「遠軽室内テニス大会」準優勝(ペア:Y原さん)

2016年(42歳)

「北海道インドアテニストーナメント」出場
紋別市ダブルス「道東オホーツクインドアテニス大会」優勝(ペア:大魔神)
美幌町ダブルス「美幌インドアテニス大会」準優勝(ペア:Y原さん)
団体戦「道北都市対抗テニス大会」準優勝
札幌市「春季道新スポーツ杯加盟団対抗戦」4部出場→3部昇格
網走市ダブルス「春季網走選手権」優勝(ペア:あきもっち)
団体戦「北海道都市対抗テニス大会」2部残留
北見市シングルス「春季北見選手権」4位
網走市ダブルス「網走会長杯」3位(ペア:Y原さん)
北見市ダブルス「北見会長杯」準優勝(ペア:H澤くん)
団体戦「北北海道都市対抗テニス大会」準優勝
旭川団体戦「秋季旭川加盟団体戦」2部優勝→1部昇格
札幌市「秋季道新スポーツ杯加盟団対抗戦」3部出場→4部降格

2017年(43歳)
五代目ラケットYONEX EZONE DR100 285g購入
「第1回ポリマー杯」3位
団体戦「道北都市対抗テニス大会」出場
団体戦「春季旭川加盟団体戦」1部出場→2部降格
団体戦「春季道新スポーツ杯加盟団対抗戦」4部残留
網走市ダブルス「春季網走選手権」4位(ペア:Y原さん)
北見市ダブルス「北見会長杯」4位(ペア:H澤君)
団体戦「道東都市対抗戦」4位
紋別ダブルス「紋別カニカップ」優勝(ペア:I君)
団体戦「秋季道新スポーツ杯加盟団対抗戦」4部残留
六代目ラケットYONEX EZONE DR100 300g購入(Y原さんより)



今年はテニスエルボーの影響でほとんど冬季練習ができず、春先から出遅れてしまいました。
次第に肘の状態は良くなったものの調子が上がらない苦しいシーズンになりましたが、それだけにイケメンサウスポーI君と出場した紋別カニカップの優勝は嬉しかったですね。

いや待て。ちょっと違う。
2011年にブログを始めた頃、自分の最高到達点は「北見周辺の大会で年1回は準決勝まで勝ち上がって、一生に一度でいいから優勝するくらい」と予想していました。
準決勝まで何度も勝ち残り、優勝を果たしたのに納得できず「苦しいシーズン」とは生意気でしょう。

生涯の最高到達点どころか、数年でそれを上回る成長を遂げたのです。苦しい、不調だ、納得できないなどと愚痴を言わず、さらに上を目指しますよ!

2017年の練習および試合がすべて終了したので、今年の戦績をグラフにしてみましょう。

graf

それシュテフィ・グラフ。

 

シングルス練習試合 0勝4敗 勝率0.000

シングルス公式戦 0勝0敗 勝率なし

ダブルス練習試合 35勝20敗 勝率0.636

ダブルス公式戦 29勝26敗 勝率0.527

総計64勝50敗 勝率0.561
graph2017
合計114試合。肘痛でまともにプレイできなかった昨年に次いで少ない試合数ですが、毎年の目標である50勝50敗をぎりぎりでクリアできました。
シングルスの公式戦出場は無し、練習試合も4回だけで全敗でしたが、シングルス練習ができる状態まで肘が回復しただけでも収穫と言えましょう。

代わりにダブルスの練習試合が34→55試合と増加、公式戦は58→55と現状維持。肘の回復に伴って試合数は確保できました。
しかし冬季の練習が全くできなかったため春先の出遅れが目立ち、全体的に勝率はやや低下。その原因をさらに詳しく分析するため、ショット別に振り返ってみましょう。

【サーブ】
7月から必殺マグロサーブを練習、これを習得したことでフォルトが激減しました。しばらくは薄いグリップに違和感があり球威もスピン量もコントロールも全て落ちていましたが、10月頃には以前と変わらず打てるようになりました。1stサーブ確率UP、ダブルフォルト撲滅というメリットだけが残った大成功と言えます。

【リターン】
冬季の練習不足が災いしてか、シーズン中はずっと不調。後で考えるとストロークのようにテイクバックが大きかったこと、下から擦り上げてスピンをかけようとして面が安定しなかった事が原因と思われます。シーズン終盤、ステップインして軽く面を合わせる感覚を思い出してからは復調しました。
肘を痛めてから両手に変えたバックハンドリターンはまだ初級者レベル。両側フォアの持ち方にグリップを変えてから少し掴んできたかも?

【ボレー】
ボレーの技術自体は変化なし。ただし前衛時の意識改革が進み、ポーチでの得点と相手リターナーに与えるプレッシャーは増していると思われます。
厚かったグリップはただいま絶賛改良中。これの習得が進めばさらに守備範囲や決定力が良化する・・・予定です。

【ストローク】
今年勝ちきれなかった最大の原因がこれ。片手から両手に変えたバックハンドは仕方ないとしても、フォアが打ち切れず勝負になりませんでした。
すべては練習不足が原因なのですが、球威が出ないから強く打とう、ボールが沈まないからもっとスピンをかけよう、と腕に力が入ってさらにミスが重なる悪循環でした。私の生命線はフォアストロークなので、これが入らなければ話になりません。
秋以降ラケットを285g→300gに戻し、擦り上げるようになっていた軌道をややフラットに戻し、強打できるボール以外は緩く足元に沈めることを意識してようやく復調してきました。


このように2017年は春先の出遅れを取り戻せず、納得できるプレイができないままシーズンを終えましたが、その中で「A級タイトル獲得」「テニスエルボー完治」という相反する目標を2つとも達成したことは評価して良いでしょう。
終盤には身体も技術も状態が上がってきたこと、両手バックハンドやボレーのグリップ改良に挑戦していることからも、来年に期待が持てる年末と言えます。肘痛でボールを打つこともできなかった昨年末とはだいぶ違いますね。


そんなわけで2018年は・・・

両手バックハンド習得
フルマラソン完走


を目標とします。

目標が低くなってる?テニスと関係ない?
いやいや、目先の結果を求めるよりも先を見据えるべきと考えたのです。
弱点であったバックハンドが改善できれば自ずと勝てるようになるでしょうし、フルマラソン完走できるくらいの体力があればそれを基に戦術を立てられます。
「全日本ベテラン出場」という生涯目標に向けて、遠回りに見えても着実に歩を進めていきますよ。

先日、陸別町の「銀河の森天文台」にて双子座流星群の観望会に行ったところ
十勝毎日新聞から取材を受け、写真付きで記事が掲載されました。
その名の通り十勝・帯広方面の新聞なので、おそらく北見市民の皆さんの目に触れることは無かったでしょう。


「星をみるひと」は1987年に発売されたRPGで、ファミコン時代に輝くクソゲーとして今なおその名を轟かせています。
hosiwomiruhito1
煌めく星々をバックにスマートな書体のロゴ。フォントの大きさや配置にもセンスが感じられ、タイトル画面は美麗と言えましょう。
しかし一度スタートボタンを押せば、早速クソゲーの片鱗を見せてくれます。
hosiwomiruhito2
何の説明もなく広い世界に放り出され、何をしたら良いのかさっぱりわかりません。
実は「超能力で町が隠されている」という設定で左に一歩歩けば最初の町に入れるのですが、最初の一歩を左以外に歩いてしまうと町に入るのは極めて困難なのです。
他にも名前から効果が推察できないアイテム、開けたらスタート地点に飛ばされるドアなど理解不能な点も多く、RPGが洗練されていない時代のゲームとしても不親切との謗りは免れません。

もちろんクソ要素はこれだけではなく、1秒に1歩の超鈍足移動、ドラクエに例えると「最初に出会ったスライムにベギラマ唱えられて全滅した」と表現される序盤の理不尽難易度、コマンドキャンセル不能の不親切UIなど、数え上げればきりがありません。その道の人々から「通常クリア自体がやりこみプレイ」とまで言われる上級クソゲーなのです。

しかしその世界観やストーリー、良曲揃いのBGM、美麗なドット絵などから一部にコアなファンが存在していることも事実であり、後に本作をリスペクトした同人ゲームが作成されるなど「愛されるクソゲー」という一面があることもお伝えしなければいけません。
ゲーム内では明かされない設定があると推察されたり、未使用のエンディングデータが残っていたりと、未完ならではの怪しい輝きを放つ名作「ロマンシング・サガ」に似た魅力を醸しているのもその一因でしょう。単なるクソゲーと片付けるには惜しい怪作、それが本作「星をみるひと」なのではないでしょうか。



双子座流星群?
うん。綺麗でしたよ。

wasabi20171201
わさびなのだ。
今日はクリスマスなのだ。
みんな元気に交尾してるのか?

wasabi20171202
ん?
交尾はクリスマスの前夜にするものなのか?
なぜなのだ?

練習がない時はたまに道立体育館や市民プールのトレーニングルームに行くのですが、中には明らかにフォームが綺麗で無駄のない走りをするガチランナーがいらっしゃいます。

大抵そういった方々は同じペースで淡々と走り、息も乱さず何事もなかったようにランニングマシーンを降り、少し休憩してまた淡々と走り続けています。
私のように落ち着きなく傾斜を上下させたり、表示画面を切り替えてみたり、スピードMAXにして死にかけたりしません。

先ほどフォームが綺麗と書きましたが、具体的にはどうか?
気をつけてみていると、身体の動きが少ないのですよ。足は高く上げず摺り足のように低く保ち、爪先で蹴るような動きはせず足の裏を広く使っています。その安定した下半身の上に上半身が乗り、無駄に弾むような上下動をしていません。

もちろんテニスとは全く異なる動きですが、無駄な動作を極力少なくしてエネルギーロスを抑えるという考え方は同じですね。
私が同レベルのテニスプレイヤーと比べて無駄な動作が多いことは自覚しており、特にシングルスにおいてこのエネルギーロスや動きのブレが致命的です。
ここに上達のヒントがあるかもしれない!無駄をなくして効率のいい動きを身につけるよ!

とりあえず無駄なスピードMAXはやめるか・・・。
mudamuda

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